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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

増吉と八五郎〈中津川市加子母〉

 明治から大正のよき時代に、平凡な生活を楽しんだ凡人、増吉と八五郎は、たいへん仲が良く、増吉も八五郎も籠やザルを作って売り歩くのが職業でした。
 品物が出来上がると、2人は背負って行商に出掛けました。主に物々交換でした。
 ある年、2人は行商に出掛けて、馬瀬村で夕方になったので、どこかで泊めて貰おうと思って、家を訪れましたが、
「泊めてはやるがお前たち、おかぐらをまわすか」
と、言われました。
 日が暮れてしまったので、3軒目の家でおかぐらを舞いますからと泊めて貰う事にしました。大きな家でいろりには大きな鍋に稗のお粥が一杯煮えており、しばらくすると、大きなザルにいっぱいの里芋のかしらが盛られて出されました。そうして、主人が、
「さあ、おかぐらをまわせ」
と、言われたので、2人は着ていた半纏を八五郎が被り、増吉は後にまわって、口笛を吹いて、神楽舞の真似を始めました。
 家の人はおかしな顔をして、
「何のまねか」
と、聞くので、
「おかぐらを舞っています」
と、言うと、主人は、
「里いものかしらを食うことを、おかぐらをまわすというのや」
と、言われました。
「やれやれ、そうだったのか」
 2人は安心して、里いもを食べ、稗のお粥をすすって、一夜の宿を過ごしました。


【解説】
 増吉はからスズ竹を切ってザルを作ることを仕事とし、弥宜様でもあり、病人の加治祈祷をやったり、正月になると、荒神祭に家々を回ったりした。八五郎は竹でカゴなどを作り、蜂の巣を見付ける名人だった。
参考文献「加子母の歴史と伝承 続編」