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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

孝女ぶんぎん〈中津川市高山〉

 今日もまた、文助が居酒屋へ酒を飲みに来ています。鴉の鳴かない日はあっても、文助が酒を飲みに来ない日はないといわれるくらい文助は酒が好きで、毎日、毎日飲みに来ました。居酒屋の主人は、お金を持たずに飲みに来る文助に、快くお酒をいくらでも飲ませてくれました。
 文助の家はとても貧乏でした。けれども文助には、よく働く「ぶん」と「ぎん」という2人の女の子がありました。この2人が文助の飲んだお酒の代金を、きちんきちんと払ってくれているのです。
 天明6、7年は大飢饉で、お酒を造ることが禁止されました。しかし、文助はお酒なしでは1日もこらえられません。ぶんとぎんは家でお酒を造って文助にすすめました。
 このころから文助は、お酒を飲んだ後で、疲れた疲れたと言うようになりました。姉妹は父の体を心配して、朝鮮人参という高い薬を買ってきて飲ませました。
 ぶんとぎんは貧乏なので、自分たちは粟や芋ばかり食べ、文助には白米で、おいしいご馳走を食べさせました。着るものも、自分たちはつぎはぎだらけのボロを着て、文助にはきちんとした身なりをさせました。
 お嫁入りの話しがあると、「小さいときから男手一つで育ててくれたお父ちゃんをおいて行くことはできません」と言ってぶんは断りました。ぎんも「姉さんにだけ苦労をかけることはできません」と言って断りました。それでは婿を迎えてはどうかと言われると、「大酒のみのお父ちゃんと喧嘩になるで」と言ってこれも断りました。
 親孝行な姉妹の話は評判になり、お殿さまから2度もご褒美をいただきました。


【解説】
文助=寛政7年(1795)3月5日没。推定86歳。80歳を過ぎても手のつけられない道楽者であったという。
長女ぶん=天保11年(1840)12月15日没。推定96歳。
次女ぎん=文政9年(1826)12月21日没。推定72歳。顕影碑は大正4年、高山青年団により建立された。