HOME > ひがしみの昔話 >

ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

阿寺白米城〈中津川市手賀野〉

 武田勢の大将木曽義昌は、阿寺城とは中津川を挟んで向かい合う、前山の麓に陣を構えました。阿寺城への道はけわしく、なかなか攻め入る手だてがありません。敵の武将たちは頭を寄せ合って相談しました。
 「食糧は大分ため込んでいるようす、今は水攻めより手がない。阿寺城への用水路を切り落とすことだ」 杣人たちが集められ、阿寺城の用水路は次から次へと斧でたち切られました。阿寺城では貯えた水も残り少なくなり、家来たちの間にも心配の色が広がって行きました。
 「誰かよい知恵はないか」
 城主の遠山友重は家来全員に水攻めから抜け出す方法を考えさせました。その時、一人の侍が進み出て、「今、残っているのは米だけです。この米を使って水に見せかけ、敵をあざむくというのはどうでしょうか」と言いました。もうどうしようもなくなった今は何でもよい、やれることはやってみようということになりました。
 侍は月が出るのを待ってやぐらに上り、「やあやあ者どもよーく聞け、われらが城にはまだまだ水があるぞ、見るがよい」と大音声を上げ、大きな柄杓ですくった白米を、水に流すように、高い石垣から流し落しました。白米は月の光に照らされて、敵の目にはまるで水のように見えました。驚き騒いでいる敵陣目がけて、城兵たちは打って出ました。敵はあわてふためき、さんざんな目に会って逃げて行きました。
 白米を流して水攻めから逃れたこの城のことを、それ以来「白米城」と呼ぶようになりました。


【解説】
 武田信玄の子勝頼は、信玄の死後、衰えた武田勢を盛り返すために、五ヶ国の軍勢を二手に分けて美濃の国へ攻め入った。本隊は木曽福島から伊那路をぬけ上村に入り、串原、明智、飯羽間の城を攻めた。他の一隊は木曽から霧ヶ原城、落合城、中津川督ノ城を攻め落とし阿寺城へ向かったのである。