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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

陰陽塚〈恵那市笠置町〉

 宝暦十一年(一七六一)十一月、もう冬で、笠置山から吹きおろす風は冷たいものでした。冷たい風に吹かれながら、河合村の小井戸へ二人の修験者がやってきました。何をする人かと聞くと、「占いをする」といいました。
 「そんなら、みてもらおまいか」ということで、集まった人が占ってもらうと、とてもよく当ります。
 「ここに住むことにせらっせ」という人々の希望で二人は一軒の家をかまえて河合村に住みつくことになりました。
 二人は兄弟で、兄は七併坊、弟は了全坊といいました。
 よく当るという評判がだんだん広まって、家へは誰かが占ってもらいに来ているし、また頼まれて出かけていって占うこともありました。ところが兄の七併坊が急病にかかって、ころりと死んでしまいました。村の人たちが、みんな集まって立派な葬式をやりましたが、了全坊は「兄と二人で住んでいたところにおると、兄のことを思い出して、悲しうてしょうがない」と、平鳥屋に庵を結んで、兄の冥福を祈りながら一人で暮らすことにしました。人々は平鳥屋坊主と呼ぶようになりました。
 平鳥屋坊主は、その後も占いをしていましたが、ある日修行中に死んでしまいました。村の人たちは哀れに思って、庵の近くの丘の上に葬むってやりました。
 これが安永七年(一七七八)十二月であったといいます。
 いまは陰陽塚といわれていますが、これが兄弟二人のお墓であります。


【解説】
陰陽道=中国伝来の陰陽五行説に基づき、天文・暦数・卜筮などの知識を用いて吉凶・禍福を占う方術。朝廷は早くからこれを採用、陰陽寮を設け、平安時代には全盛を極めた。
陰陽師=陰陽寮に属し占筮・地相判定などをつかさどった人。(『大辞泉』より)