HOME > ひがしみの昔話 >

ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

甚平坂〈恵那市岡瀬沢〉

 今から八百年ほど前の話です。鎌倉幕府の家来で信州に住んでいる、鷹を使うことが大変上手な「根津甚平」という強い武士がいました。
 そのころ同じ信州の桔梗原に「八重羽の雉子」という悪い悪い鳥が棲んでいました。その羽は重なって鋭い刃のようであり、嘴は剣のようにとがり、見るからに恐ろしい鳥でした。その羽風にあたると、たちまち病気になるといわれ、桔梗原付近(現在の塩尻市)の村人は、毎日びくびくして、本当に生きた心地がありませんでした。
 鎌倉幕府の将軍の源頼朝は、この八重羽の雉子という悪鳥退治を根津甚平に命じました。甚平は気の毒な村人を救うために、喜んで引き受け、家来や愛犬を引き連れて、笛・太鼓など打ち鳴らして桔梗原に攻め入りました。この物音にさすがの悪鳥も羽ばたきすごく西へ向かって、真っしぐらに飛び立ちました。
 「うぬ逃がさじ」と鷹も犬もあとを追いかければ、甚平も見失っては一大事と馬に鞭あて、木曽路を西へ西へと追っかけました。本当に死にもの狂いで食うや食わずに追いかけ、大井の岡瀬沢まで来ましたが、この時は強い甚平も大変な疲れ方で、馬も息絶え絶えでした。大井へあと一歩の坂道でどうと横たわり、馬もろともついに倒れ息を引き取ってしまいました。
 その後、この坂を甚平坂言うようになり、甚平の霊を祭る宝篋印塔や神社が建てられました。付近には甚平と運命を共にした馬と犬を葬った馬塚と犬塚も造られています。


【解説】
 根津甚平の話は、恵那市大井町の長国寺縁起帳にまとめられている話です。縁起帳は長国寺をはじめ体巌和尚がまとめたもので、今も長国寺に伝えられています。この八重羽の雉子退治の前にも甚平は、子供を授かりますようにと長国寺に参拝しています。これが長岡寺の妊観音の話です。
 長国寺には、こうした由来から甚平の位牌や馬具などがあります