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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

居守ヶ池〈恵那市山岡町〉

 戦国時代の初め頃、この辺りの領主の遠山氏と、西方の土岐氏が敵味方に分かれて争っていた時のことです。明知遠山の領主は、領土の守りを固めようと、田代の東の山に高町城を築き、部将に命じて守らせました。部将は家族や部下の郎党と共に城に入りました。
 土岐氏は大軍で押し寄せて、高町城を取り囲んで攻めました。何倍という敵の大軍に攻められて、部将も部下も激しい戦いの中で討ち死にしました。土岐の軍勢は勝鬨をあげると、激烈な戦闘のために、血によごれた刀や槍や手足を、近くの池で洗いました。池の水は、血のりで真っ赤に染まってしまいました。
 部将には美しい娘があって、姫は父と共にこの高町城に住んでいました。戦いが激しくなると、城の裏山に身を隠していましたが、戦い終わって、はかない我が身を嘆いた姫は、土岐軍が刀や槍を洗った池に身を投げて死んでしまいました。
 その後この池に住むいもりの腹は真っ赤な血のりに染まったのでしょうか、格別に赤い腹をしたいもりが住むようになりました。
 そして毎夜真夜中になると、池の面に死んだ姫の姿が立ち上って、すすり泣きながら、その美しい髪を櫛でとく姿が、闇の中に浮かび、しゅくしゅくとすすり泣く声が辺りに聞こえていきました。
 近くに住む里人たちは姫のなげきや、城兵の無念を鎮めるために、池のほとりに龍王さまを祀り、毎月の供養のしきたりを続けるようになりました。
 そして誰が名付けたというわけでもなく、この池を居守ヶ池と呼ぶようになりました。


【解説】
戦国時代=日本で、戦国大名が群雄割拠した動乱の時代。応仁元年(一四六七)に京都で始まった山名宗全(西軍)と細川勝元(東軍)の戦いは一一年続き都は焼け野原となり、全国に戦いは広がった。織田信長が将軍足利義昭を追放して天下統一に乗り出すまでの約百年間をいう。(『大辞泉』より)