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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

瞽女と七草粥〈恵那市山岡町〉

 正月七日の朝のことです。下手向村の芦原の里の家々では七草粥をたき、家族そろって年祝いの膳に向かって、箸をとっていました。その日の朝は、前日からの雪が野山一面に降り積もって寒い朝でした。
 この時、この芦原の里へ向かう旅の瞽女(三味線などをひいてお金をもらう盲目の女性)がありました。
 瞽女は西の方から、芦原へ下りる坂道にさしかかっていました。雪ですべる道を杖をたよりに、一歩一歩たしかめるように足を運んでいましたが、雪のふきだまりに足をとられて、あっという間もなく坂道をすべり落ちて行きました。坂の下には底なしの深い沼地がありました。
 池にすべり込んだ瞽女は、もがけばもがくほど、底なしの泥の中へ引き込まれて、「助けてくれー、助けてくれー」と声を限りに叫び続けましたが、芦原の里の家は戸を固く閉ざし、七草粥を食べる最中でしたので、瞽女の必死の叫び声は里人の耳には聞こえてきませんでした。
 瞽女の体は池の中に吸い込まれて、もう首から上が出ているだけでした。瞽女は最後の声をしぼって、「何と不人情な村人どもよ。必ず祟ってやる」と言う間もなく池の中に消えていきました。
 それから間もなく、芦原に眼の病気がはやり、盲目になる者もありました。里人たちは瞽女をねんごろに葬り、七日正月の七草粥を食べることもやめて、瞽女の冥福を祈りました。今でも芦原では七日正月の七草粥を作らないでいます。


恵那市山岡町下手向
【解説】
 瞽女は紺の着物の裾をはしおり、手甲・脚絆に鳥追い笠をかぶり、髪は銀杏返しに結い、三味線を持って訪れ、演曲は、「巡礼子別れの場」などを親子の人情物などで、娯楽の少ない山村の人々に歓ばれた。久須見村のかつが御嵩願興寺派に弟子入りし、延宝二年(一六七四)久須見村へ戻って瞽女家を建て、初代瞽女となった。第二七代昭和二七年廃絶した。