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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

一夜城〈恵那市明智町〉

 昔、武田勝頼の軍勢が明知城を攻めたとき、その軍勢を止めようとして、砦が作られました。
 杉平と門野の境にある大平山の山頂を地ならしして作られたものです。 何しろ急な話で、武田の軍勢が明日にも通りかかるかもしれないというので、百姓たちを動員して、たった一晩でこしらえてしまいました。それで一夜城の名が残っています。
  城に石垣を積むようになったのは、織田信長の頃からで、最初は野良積みといって、そこらの石を集めて来て、そのまま積み上げたもので、織田信長の作った安土城もそのように出来ています。
 この一夜城もむろん土盛り式で、石垣はありません。縦が約30メートル、横が約50メートルの長方形です。
 柱や桁、長押などは、立ち木を切って来て使いました。丸太のままで、ほぞやほぞ穴を作って組み立てました。杉や檜の皮を剥いで、板屋根の上に葺きました。昔の百姓は農業以外に何でも出来たのです。武士と農民とがはっきり分かれていなかったのです。だから戦争は農閑期の冬しか行われませんでした。
 戦争には食料など荷物の運搬人が大勢必要です。こうした人足など戦争の専門家を初めて作り上げたのは織田信長です。信長が戦争に強かったのは、年中戦争ができた点にもあります。
 話を元へ戻して、一夜城の建具類(障子、唐紙など)は門野から挑発して運び込まれました。また、砦跡から薙刀が一振り発見されています。
参考資料『昔話収集クラブ発行図書 ―(上村合戦)―山形さぶろう』


【解説】
本当の一夜城=豊臣秀吉が小田原城を攻めるときに、一夜で築いたという、箱根石垣山の城(『大辞泉』より)
なお、墨俣城は秀吉が一夜にして築城した一夜城として著名であるが、その築城年月には諸説がある。(『角川日本地名大辞典21岐阜県』より)