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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

紺屋井戸〈恵那市上矢作町〉

 昔の旅人は高い山を目当てに歩いていましたから、道が高い所にありました。信州(長野県)の飯田へ行く道がありましたから、今でも飯田洞という地名が残っています。大船山や恵那山を目当てに歩いてきたものです。
 飯田洞にたった一軒だけ染め物屋(紺屋)がありました。それはそれはよう繁昌しておりました。
 おかげでいくつも倉が建って、屋敷もおそろしく大きなものであったそうです。
 そこへあるとき、ひとりの汚らしい身なりのお坊様が通りかかりました。とても暑い日だったもので、お坊様はのどがからからに乾いておられました。
 「もうし、すみませんが水を少々飲ませてくだされ」と、お坊様はおっしゃった。召使いの知らせで主人が出て来て、大声でどなりました。
 「この乞食坊主、あっちへ行け。この水は命より大切な染め物の水じゃ。お前なんかに一ったらしでもやれるもんか。さあさあ早うあっちへ行け!」
 すると、その汚いお坊様は丁寧に腰をかがめておじぎをなさいました。
 「それは失礼を申しました。どうかお水を大切になさってくだされや」
 そうしてしばらく歩いて行き、別の所で地面を杖でトンと突きなさいました。するとそこにきれいな水が吹き出してきました。そのかわりに紺屋の井戸には水が一ったらしもなくなってしまいました。その紺屋はまもなく潰れて、今は地名だけが残っています。
 お坊様は弘法大師さまだったそうです。


【解説】
弘法大師=空海(774―835)平安時代初期の僧。真言宗の開祖。讃岐の人。俗姓、佐伯氏。延暦23年(804)入唐、翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立。(『大辞泉』より)
 弘法伝説は各地に残るが、この話しは悪い法の伝説である。