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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

西山の栗〈恵那市岩村町飯羽間〉

 昔、秋のある日、子供たちがわいわいがやがや騒ぎながら、大きな栗の木を棒でたたいて栗を採ろうとしていました。そこを通りかかった旅姿の坊さんが子供たちに声をかけました。「これこれ、お前たちは何を騒いでいる」これを聞いた子供たちは「栗が沢山なっているけど木が高いので棒でたたき落とそうとしても巧く採れない」「そうか、一つ貰おうと思ったが仕方がないなあ」と言って、その場を立ち去りました。
 坊さんは疲れと空腹で一休みしようと思い、村はずれの老婆のいる家に立ち寄り「すまんが水を一杯飲ませて貰いたい」と声をかけました。この老婆は優しい人で「お茶を沸かすで、そのあたりで座って待っていて下さい」と言ってお茶を準備し、簡単な食事を差し出して「このような粗末な所では何ももてなしは出来ませんが、それでも一時の腹ごしらえに」と言いました。旅の坊さんはこの親切が大変嬉しかったので「この里に何かお礼をしよう」と思われました。さっき見た栗の木は大きいので子供たちが難儀をしていたことを思い出し、小さな栗の木に向かって一生懸命に拝んでから老婆に「ここに生える栗の木は草と一緒に刈り取っても、次の年には芽が出て実が成るから・・・。ごちそうさまでした」と言って、その西山の里を去りました。
次の年から旅の坊さんが言ったように、小さいが甘い甘い栗が沢山実りました。
 あのたびの坊さんは弘法大師でした。
 最近まで武並山の麓には、甘い実をつける芝栗が沢山あったそうです。


【解説】
 この物語も弘法伝説の一つである。弘法伝説は各地に沢山ある。良い行いをした者には良い結果が、悪い行いをした者には悪いむくいが与えられる。
 秋は収穫の時で忙しくてもうれしい季節である。子供たちも山へ行って、山の幸の柿、あけび、山ぶどう、栗などを採って遊んだものである。西山は岩村から見ると西の方、だから武並山の麓辺りがそうである。