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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

井戸神〈恵那市岩村町〉

 江戸時代から井戸を守る水神様がまつられていました。明治20年(1889年)の後半になると、生糸が好景気になって、農家の副業に蚕が飼われ、各地に製糸工場が建てられました。そこで働く人々は女の人で、女工さんと呼ばれていました。
 明治30年になると、生糸は益々景気がよくなって、上矢作町小田子に太平館という製糸工場が出来、川の向こう側には水府製糸場が出来ました。そこで働く女工さんたちが、休みの日には、連れだって水神様におまいりに来ました。
どうしてかというと、水仕事をする人がよくかかる病気にユビススキというのがありました。指の爪の間からバイ菌が入って起こる病気で、指が痛くてたまらないので、半年か1年仕事を休まなくてはなりません。そこでユビススキにかからないようにと、お参りに来るのです。
 第1次世界大戦が起こると、生糸の景気が悪くなり、製糸工場も閉鎖され、女工の姿も見えなくなりました。
 その後は井戸神様も、安藤家が屋敷神としてお参りするだけの、淋しい神様になってしまいました。
 平成2年に木製の社が作られ、屋根瓦も葺かれました。その瓦を葺いた屋根屋さんの家では、若い夫婦に10年も子供がなく、諦めていたところ、この仕事をしたら子供ができました。その他にも、平成元年に近所に引っ越して来られた家でも、同じように子供に恵まれました。
 井戸神様は「子授けの神」「子宝の神」として評判になり、お参りに来る人もあります。


【解説】
 井戸神様。自然石に「奉請水神。安政2卯年6月(1855)安藤右左衛門」と刻まれている。きわめて達筆である。これは安藤家が古来より、玉仙寺の隣であったよしみから、建碑に際して、玉仙寺住職が請われて書いたものかもしれない。碑の傍らに燈篭の火袋が一個あるのみで、他には何もない。