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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

銀杏の木〈恵那市山岡町馬場山田〉

 むかし、鎌倉幕府の時代は、安藤家の祖先は源氏の味方だったが、後に豊臣家の家臣になりました。その頃の安藤家は、男ばかりの三人兄弟で、三人とも勇気のある侍でした。
 大阪夏の陣の戦いで、大阪城は焼け落ち、豊臣家の負け戦となり、負けた方を捕らえる落ち武者狩りが、日に日に厳しきなりました。
 ぐずぐずしていたら我が身が危ない。
 三兄弟は厳しい敵の目を逃れて、奥深い山から山へと逃れました。いったんは信州の山奥に落ち着いたが、しつっこい追手はこの山奥にまでも迫りました。
 「もはや兄弟三人一緒に逃げられない。この上は分かれて落ち、何とかして生きのびよう」兄弟の無事の印として落ち着いた土地に、この銀杏の木を植えてお互いを思おう。木が成長している時は互いに元気なのだ」と、兄は弟二人に銀杏の苗木を与えました。共に苦労を重ねて来た三人は互いに手を握り会い三方に別れて行ったのです。
 兄は遠山の山田村に、弟の一人は阿木村に、もう一人は野井村に、やっとの思いで辿り着き、約束の銀杏の木を植えました。
 何百年もたって、銀杏の木はぐんぐん伸び、たくましく成長して行きました。
 兄の植えた銀杏の木は大木となり、村人は安藤家のことを「銀杏の木」と呼ぶようになりました。
 いつの頃からか大銀杏の木の天辺に、竜が棲むという噂が伝わり、毎年銀杏の木と竜神さまのお祭りが行われるようになりました。
 阿木村の長楽寺と、野井村の農家の庭の銀杏の木も大木となり、近所の自慢の種です。


【解説】
大阪夏の陣=元和元年(1615)夏、徳川方が冬の陣の和議の条件に反して、大阪城の内堀を埋めたため、豊臣方が兵を挙げ、徳川家康らに攻め落とされた戦い。淀君と秀頼の母子は自害し、豊臣氏は滅亡した。
冬の陣=慶弔19年(1614)冬。方広寺の鐘銘事件を口実に徳川家康が豊臣氏を大阪城に攻めた戦い。秀頼の軍の奮戦で城は落ちず、いったん和議を結んだ。