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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

夕立山〈恵那市山岡町久保原〉

 夕立山は本当は大丸山という名前ですが、子供が隠れんぼなんかして遊んだり踊っていると、たいてい夕立に合い、びしょ濡れになって帰ってくるという破目になるし、雷の音が山に当たって響くので、夕立山と呼ばれるようになりました。木が生えていない、草ばかりの山です。
 「おーい、また境の石がいざっとるぜ」「また、いざらかいてあるのか」治郎作が息せき切って走って来たので甚平も畑仕事をやめて、一緒になって庄屋さんの家の方へ駆出しました。庄屋さんの家に着いた頃には、人数は7,8人になっていました。
 夕立山は牛や馬に食べさせる草刈り場で、重要な場所でありました。久保原、深瀬、佐々良木の3つの村の境の目じるしがあって、その境の石を夜中に動かす者があって、3つの村の争いになるのです。
 「こう何度も境のことで争っていてはかなわん。何とかならんものか」境に3つの村の代表が集まって相談しました。
 「境に穴を掘って炭を入れておいてはどうだ。炭は腐らんで永久のもんだ」と1人が提案しました。
 「なるほど炭か。それはいい」 腕組をしていた皆がその考えに賛成しました。すぐに深くて、大きな穴が掘られ、大量の炭が入れられました。炭の真中に杭が立てられ、炭は土を掛けて隠れましたが、杭は高く上に出ていました。
 時は流れ明治時代になると、戦争に行って生きて帰った人々が、この境の上に神社を作り、夕立山神社と呼ばれています。


【解説】
 大丸山神社は久保原東山上ヶ平にあって、明治38年に創建。鹿島・香取の両武神がまつられている。日清・日露の戦争に行って生きて帰った人達によって建てられたという。
 遠くまで見通しがきく、境としては絶好の場所である。雨乞いの場として、又牛馬の餌料としての草地が少ないため、重要な場所でもあった。