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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

七軒屋の里の寺〈恵那市明智町吉良見〉

 建武年間(1334年)以来、7軒だけの農家で、貧しく暮らしている里がありました。この里の中を通る街道の脇に、1軒の庵(小さなお寺)があって、1人の尼さん(女のお坊さん)が住んでいました。
 江戸時代に入って、ある年の秋のおわりころ、もう霜がおりるじぶんでした。明智の領主遠山利景公が、家来をともなって鷹狩りに出かけられ、昼過ぎにここへ通りかかられました。
 「あっ、良い所があるぞ。あの庵によって茶が飲みたい。」利景公はその庵に立ち寄り、縁側に腰を掛けて尼さんの差し出すお茶をすすりながら、余り広くもない庵の内を眺めておられましたが、ふと目にとまったものがありました。
 それは、庵の正面の仏壇にまつられた位牌でした。遠山家の家紋があり、先代様景行公の戒名まで書いてあります。
 「これにあるはまさしくわが家の先代様景公の位牌と見た。誰の許しを得てこのような所にまつったか。ありのままに申せ。」
 険しい顔色で尋ねられるので、尼さんは深々と頭を下げ「私共領内に住む限りは、大恩あるは御領主様と、片時も忘れたことなく、仏道に仕える身、せめて御位牌なりともおまつりして、日夜勤めております。」と答えました。
 その答えがあんまり素直で、いじらしかったので、つい殿様もお喜びになり、「左様か。それは殊勝な心がけであるぞ。なれば今後とも勤めてくれよ。」と仰いました。
 それから殿様一行は、再び裏山の方へ狩りに出発して行かれました。


【解説】
 雲祥寺。創建、慶長15年(1610)
 寺領として山林9町歩、田畑1町歩を寄進された。住職には家紋と遠山姓が許された。臨済宗、妙心寺派。寛文11年(1671)本山の直末となる。明治19年(1886)6月火災にあい、什宝・古記録など全てを失った。