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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

中将姫曼陀羅〈恵那市明智町安主〉

 中将姫曼陀羅の伝説は歌舞伎でも上演されて、あまりにも有名ですが、ここに改めて書いてみましょう。
 今から1270年くらい前の奈良に都があったころのお話です。
 中将姫は右大臣藤原豊成の娘として生まれましたが、3歳のときに、お母さんに死に別れました。後から来たお母さんに嫌われ、紀州(和歌山県)ひばり山に捨てられてしまいました。拾った人はかわいそうに思い、お寺に届けました。中将姫はお寺で育ち、9歳になりました。
 中将姫のことは父や母にも知られ、母は中将姫のあることないこと、悪口を一杯豊成に言いました。豊成は怒って、中将姫を生かして置くのは家の恥と思い、春時という者に命じて、中将姫を殺させることにしました。春時が殺しに来たとき、姫は「最期にお経を読ませてください」と言い、三部のお経を読みました。春時はどうにも姫がかわいそうで、殺すことができません。春時は姫を自分の手で育てることにしました。春時は髪を剃り得生坊という名前のお坊さんになりました。姫が15歳のとき、父豊成と出会い、奈良へ帰りました。皇后様になるという噂が出るくらい美人でした。姫は当麻寺に入って中将法如という尼さんになりました。ある時霊夢を見て、蓮の茎から糸を取り、五色に染め、仏の世界を図に表した曼陀羅を織りました。三枚織り上げ、一枚は両親の仏果菩提のために、もう一枚は得生坊に与えました。
 その得生坊に与えた曼陀羅が得生坊の子孫によって明智にもたらされたといいます。


【解説】
 中将姫は宝亀6年3月14日、29歳で亡くなりました。
 得生坊の子孫、堀植春は鎌倉時代に諸国行脚の旅に出、明神ヶ峯の麓に小宇を営み、参拝者は引きも切らなかった。
 その後、堀某が京都から明智に隠棲した時、持参したのがこの曼陀羅で、今では図柄もはっきりしない。