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ひがしみの昔話

ひがしみの昔話

まむし岩〈恵那市上矢作町〉

 遠い遠い昔のことです。
 そのころは上村のあたりは、昼でも暗く、大きな木がいっぱいに茂っていました。まだ原始人のような生活をしていた村人たちのかしらとして、ヤマトヤチヒコという人がいました。その人の甥に鬼龍という男がおりました。鬼龍は身長が3メートルほどもあり、体重は800キログラムもありました。その顔つきは髪の毛も頬髭もぼうぼうとして、まるでライオンの怒ったときのようで、眉毛は斜めに立ち、らんらんとした目は鏡のようで、青い光を放ち、顎髭は2つに右と左に分かれ、顔かたちはさながら仁王さまのようで、顔に髭があるというよりも、髭の中に顔があるというようなありさまです。体全体も毛で覆われて、胸毛はまるで針金のようにこわい毛がいっぱいに生え茂り、腰には藤蔓で木の葉を編んだものを巻き付け、その姿は鬼よりも恐ろしいと思われるほどでありました。
 この鬼龍はハマユが嶽に住んでいて、山に登って来る人々を切り殺したり、捕らえたりし、女の人を捕まえては、奴隷のように使いました。ハマユが嶽の西の麓に、殺した人の骨が積み上げられて、まるで山のようになりました。この鬼龍の恐ろしさに、人々は日本マムシのミコトとあだ名しました。
 良弁杉に宿る仙人の覚林坊は、もはやこの鬼龍のむごい行いを許してはおけないと感じられ、これ以上のむごい行いをしないように、呪文を唱え、力の強い呪文の法力で、鬼龍を大きな岩の中に、永久に出られないように閉じこめてしわれました。
 この岩は今では「まむし岩」と呼ばれ、大船神社に登って行く、少し下にあります。


【解説】
 骨を山のように積み上げた場所は今でも「山骨」という地名となって残っている。
 覚林坊は東王父仙人とも呼ばれ、そのお姿は漢文11年(1671年)に明実によって造立され、現在は横道の万光寺に安置してある。大船山には良弁杉は今はない。その根方にあった洞の中で火を焚いた人々により焼失した。