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自慢の特産品

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栗栽培農家(広報誌バックナンバーより)

栗とパンの“コラボ”  2人で夢に描いて
     熊﨑隆治さん・千代子さん (中津川市田瀬)  2012年5月号掲載
 猪対策を考えるうちに、栗栽培をすることになったと話す隆治さん。「耕作放棄地に檜を植えて40年ほど経ったところがあったが、木が大きくなり鬱陶しかった。伐採して空き地にしたが、猪対策として草刈りは欠かせない。ただ草刈りだけするのはつらいので、栗を植えて世話を兼ねてしようと思った」と笑います。
 熊﨑さん夫婦の住む矢平地区は標高600㍍。杉と檜の植林山を抜けると、ぽっかりと現れる美しい山里です。19世帯あり、多くが兼業農家で、高齢化と後継者不足が進んでいると言います。
 熊﨑さんら地域の有志は5年前、「矢平地区にあるもので地域を元気にしたい」と「百笑の会」を立ち上げました。
 隆治さんは、「“百回失敗してもめげずに笑い飛ばしていこう。そのうちにきっといいこともある”と名付けた。自分たちが行動しないと切り捨てられていく地域だから」と話し、足元にあるものを掘り起こそうと活動しています。
 「百笑の会」では、地域の産業祭へ野菜の直売の出店などを企画してきました。標高が高いため、気候を活かして栽培した野菜を地域の魅力の1つにしたいと考えたからです。しかし近年、猪被害は一層深刻になり、田んぼのすぐ脇の笹ヤブの中でねぐらを見つけることもありました。
 そんな時、JAの広報誌で栗新規栽培チャレンジ塾を知った隆治さん。「どうせ草を刈るなら、そこに何かを植えよう」と、さっそく参加しました。
 隆治さんは、「果樹の中ではもっとも作りやすいと聞いて始めたが、やはり難しいことはある。が、それが楽しい」と話します。塾には3年にわたって参加し、「現地での実習が多くありがたい。至れり尽くせりだよ」とJAや関係機関が連携した就農支援体制に満足の様子を見せます。
 一方、妻の千代子さんは親の介護を終えた12年前、友だちの誘いでパン教室に行ったのがきっかけとなり、7年前からは自宅でパン作りを教えるように。現在は米粉パンの研究等をするCOME・米研究会に所属し、講師として活躍しています。
 「ゆくゆくは栗とパンのコラボレーションが出来たら」と声を揃え、微笑む2人。若木が芽吹いたばかりの栗畑を歩きながら、矢平地区の将来に思いを巡らせています。


【プロフィール】

くまざき・たかはるさん&ちよこさん:水田30a、畑10aの他、栗は40aに160本の苗木を植えている。隆治さんの定年退職を機に栗栽培を始め4年目。本格的な収穫は来年以降になる見込み。


40畳の作業小屋が栗でいっぱいになった光景は、今も鮮やかな思い出
     岡本博和さん・栄子さん(恵那市長島町) 2011年10月号掲載
 昭和45年、農林省のパイロット事業の一環で恵那市長島町久須見の山中地区に10haの栗園が造成されることになりました。これに6戸の農家が手を挙げ、栗の栽培を始めました。その中の1戸が岡本さんで、檜の山を開植して2haを栗園にしました。
 昭和2年生まれの博和さんと、7歳年下の栄子さんが過ごした青春は戦争時代に重なります。
 「食料が無くてリョウブ飯や大根飯を食べていたが、米で生計を立てられた時代でもあった。百姓があったからやっていけた」と博和さんは振り返ります。
 戦後は米を中心にしながら、栄子さんと二人三脚で桃、栗、タバコ、夏秋トマト、加工用トマトの栽培や和牛肥育にも取り組み、夜間は工場で働いたこともありました。
 昭和60年頃、2haあった岡本さんの栗園では、成木期を迎えた栗が1シーズンに6トンもの栗を落とすようになりました。40畳ほどの作業小屋の畳一面が、選果するために広げた栗でいっぱいになった光景は、今も鮮やかな思い出です。
 その後、超低樹高栽培技術が普及して剪定作業は楽になり、さらに品質の高い栗が採れるようになりました。
 「”百姓”は自然相手で面白い、やりがいのある仕事」と話す2人。
 栄子さんは今年の春から膝を悪くして「思うように仕事が出来ない」と言いますが、博和さんは「1人ではあかんけど、(栄子さんが)仕事を一緒に手伝ってくれる。ありがたいよ」と労わります。栄子さんは「(博和さんが)”男だから”って、えらい仕事を何でも率先してやってくれる。思いやりがある人」と話します。そんな2人の表情からは、助け合って生きてきた半生がうかがえます。


 





【プロフィール】

おかもと・ひろかずさん&えいこさん:東美濃栗振興協議会の超特選栗部会に加入して50aで約200本の栗を栽培している。品種は丹沢、大峰、筑波など。この他、借地も含めて89aので水田で栽培するココノエモチの苗作りと、畦畔の草刈り管理等を行っている。