風呂た川〈恵那市明智町〉

 

――宮さん 宮さん 御馬の前に ひらひらするのは何じゃいな トコトンヤレトンヤレナ
――あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃないかいな トコトンヤレトンヤレナ

 鼓笛隊を先頭に歌いながら二百人ほどの軍勢が、明智を目指して足並みそろえてやって来ました。
 明治維新の頃の話です。明智は旗本領なので、当然幕府方です。それで官軍の武田勢と山県勢が攻めて来たというわけです。
 沿道の村人たちはこの様子を遠く離れて見守っています。近づくとどんな難題を振っかけられるかもしれないからです。
やがて昼時になりました。一同は止まれの合図で足を止め、馬木川の河原へ降りると、三三伍々用意してきた握り飯を取り出し、食べ始めました。

 やがて食事が終わると、隊長らしい男が何事か命令しました。
 流木を集める者はたちまち山のように流木を積み上げました。河原に窪みを作る者は石を除け、土を掘って、直径五メートルほどの窪みを作りました。窪みには川水を入れ、流木の山には火をつけ、石を乗せました。
 真赤に焼けた石を窪みの水の中へ入れると、水は湯になり、風呂になりました。
 鼓笛を合図に十人ずつ、順番に風呂に入り、長旅の汗を落しました。こういうことがあってから、馬木川のことを、風呂た川とも言うようになったのです。

 
 

【解説】

 伝説では馬木川の水で風呂に入ったとなっているだけのようである。「その当時の明智には五右衛門風呂はなかったと思う。」と記録者は書いており、ここに書いた川湯の話になっている。伝説には主観を交えてはならないので、もしそうなら、ほんの一部の者だけが風呂に入ったということになる。