ほうじ松と比丘尼ヶ池〈恵那市山岡町〉
田沢から明智へ越す山道は、昔岩村から明智へ通づる本街道でありました。その峠にほうじ松と呼ばれる村境のしるしの松が、道端に高く茂っていました。
ほうじ松の近くに池があって、そのほとりの小さな草庵に、若く美しい尼が住んでいました。毎日毎日、その尼僧の読むお経の鈴のような美しい声が、池の面を越えて聞こえていました。
村人たちは、その尼僧がどういう身元の人かは知らなかったが、誰言うとなく、あの尼さまは、戦いで亡びた或る御領主様の姫君の世を捨てたお姿じゃとうわさしていました。美しくやさしい尼さまを、村人たちは”比丘尼ヶ池の尼さま”と呼んで、時の物を届けたりして親しんでいました。
そのうちに尼さまが病の床に臥すようになりました。村人たちは入れかわり立ちかわり看病に尽くしましたが、その甲斐もなく帰らぬ人となってしまいました。
ほうじ松の近くに池があって、そのほとりの小さな草庵に、若く美しい尼が住んでいました。毎日毎日、その尼僧の読むお経の鈴のような美しい声が、池の面を越えて聞こえていました。
村人たちは、その尼僧がどういう身元の人かは知らなかったが、誰言うとなく、あの尼さまは、戦いで亡びた或る御領主様の姫君の世を捨てたお姿じゃとうわさしていました。美しくやさしい尼さまを、村人たちは”比丘尼ヶ池の尼さま”と呼んで、時の物を届けたりして親しんでいました。
そのうちに尼さまが病の床に臥すようになりました。村人たちは入れかわり立ちかわり看病に尽くしましたが、その甲斐もなく帰らぬ人となってしまいました。
尼さまは息を引き取るとき、「朝日さし夕日影さすほうじ松、・・・・・に小判千両」と、聞きとれぬほど、か細い声で、つぶやくように言って息絶えました。
その枕元に付き添っていた村人のひとりは“松の根元に小判千両”と聞こえたと言いました。ほかのひとりは、いや“石の下に小判千両”と聞いたと言いました。残りのひとりは、「いや“比丘尼ヶ池に小判千両”と聞こえた」と言いました。
その枕元に付き添っていた村人のひとりは“松の根元に小判千両”と聞こえたと言いました。ほかのひとりは、いや“石の下に小判千両”と聞いたと言いました。残りのひとりは、「いや“比丘尼ヶ池に小判千両”と聞こえた」と言いました。
【解説】
その後、この3人はそれぞれに、松の根元を探し、石の下を掘り、比丘尼ヶ池の中をさらえたが、小判は出てこなかった。
それから今にいたるまで、この尼さまの言葉の謎を解いた者もなければ、小判を掘りあてた者もいない。