鞍掛淵〈恵那市中野方町〉

 

 中野方川の上流に、山を潜って流れてきた水が、高さ三米近い瀧となって落ち、深さ三米、川巾十米程の淵が出来て、ここから川が始まっています。
 昔、この淵の下で、一人の若者が馬を洗いながら、口の中で「困ったな、困ったな、鞍が、鞍が」と、呟いていました。
 実は明日、馬を曳いて、村から数名の者と一緒に、苗木の城へ使役に出ることになったのです。
 若者がまだ子どもの頃、父が病いに倒れ、長い間、使役に出ていないので、他の人に代わりを頼むことが出来ず、馬も農作業や薪運びに時々使う程度で、鞍が古くなっても、家が貧しくて、新しくする金がありません。もし作業中に鞍が壊れてしまったら、みんなに大変迷惑をかけることになります。それを思うと、その夜も中々寝付かれませんでした。
 しかし、うとうとと少し眠った時、枕元で「鞍の事は心配するな。
明日の朝、馬を洗った淵へ行ってみよ」と声が聞こえました。若者はハッと目を開き、今の声は夢かなと考えました。とにかく朝を待っていましたが、夜明け前、畦道伝いに淵に向かって走りました。瀧の音を頼りに、川の土手を下ると、淵のすぐ下で、横に伸びた木の枝に、何か黒い物が掛かっていました。近づいて見ると木の香も新しい鞍でした。「アッ鞍だ!」若者は掛けてあった縄をはずし、喜びに溢れた胸に鞍をしっかりと抱きしめました。そうして思わず淵に向かって深々と頭を下げました。この出来事の噂はその日の内に村中へ広がり、ここを鞍掛け淵と呼ぶ様になりました。

 
 

【解説】

 鞍掛淵にはもう一つの顔があります。昔、花山法王が旅で中野方に来られ、南に見える山が京都の笠置山に似ていると歌を詠まれました。これが元で、舟伏山と呼ばれていた山の名が変わり、その後山頂に奥社が、麓に前社笠置神社が建ち、雨乞が有名な神社となりました。村で干害が続いた時、雨を求めて祈り続けた場所としてよく知られています。(参考/柘植功さん)