馬魂鎮〈中津川市苗木津戸〉

 

 津戸はときどき狼が出る山里で、家も7、8軒しかなく、その中で「岩屋敷」と呼ばれる大そうなお大尽がありました。大勢の作男や下女を使って農業をやっていました。
 ある日、近くの下手が原へ行って山草を刈って来るように作男に命じました。作男は一番力の強いアオを引き出し、いつものようにシャンシャンと鈴をつけて出かけて行きました。
 ところが、その日、夕方になっても帰ってきません。心配していると、あたりがすっかり暗くなったころ、シャンシャンと鈴の音をさせてアオだけが帰ってきました。しかも、しっかりと口に加えていたのは人間の片腕でした。
 腕に巻き付いていた布きれから、それが作男のものであることがわかりました。
 「いくらわしのかわいい馬でも、人間を食い殺すなんて許せん。生き埋めにして、思い知らせてくれる」と、主人は怒って畑の端に大きな穴を掘らせ、アオを首だけ出して生き埋めにしました。
 アオは悲しげに泣いて、しきりに首を西に向け、何かを訴えるようにしていましたが8日目にとうとう死んでしまいました。
 その日、品の字岩の方へ迷い込んだ猟師が、岩の割れ目に落ちて死んでいる作男を見つけて知らせてくれました。
 その後、狼に襲われる者が何人も出、南北街道を夜通るとシャンシャンとなる鈴の音と、悲しげな馬のいななく声が聞こえました。
 主人はアオが作男の狼に襲われたことを知らせるために、腕を奪って来たとわかり、アオの冥福を祈って石碑を建てました。
 それからは鈴の音と馬の声も聞こえなくなりました。

 
 

【解説】

 津戸の西端に向かって南北街道が通り急な岩山をおりて、木曽川を渡り坂本村へ出ていた。
 明治の初めでも、木曽川の近くは深い山で、うっそうとした竹やぶがあちこちにあって、街道脇には大木もしげり、昼でも薄暗く淋しいところであった。