酒三升の田〈中津川市落合〉

 

 「下におれーい。下に!」
 露払いが行列より10メートルぐらい前を、そう言って進みます。
 その声を聞くと旅人たちは街道の両側に座って、頭を下げなくてはなりません。
 大名行列の先頭には「金紋先箱」と言って、大名の家紋を金色で描いた、黒い挟み箱を担いだ中間が行きます。この紋によって、どこの、何という大名かがわかります。
 大鳥毛、小鳥毛と言って、長い棒の先に総をつけたものを持った中間が行きます。総は赤、黄、白、青などに染められ、上へ突き上げ、別の中間が受け止めます。その後に、殿様の駕籠を真中に、前後を笠を被った武士が続きます。 最後に荷物を持った人足や馬が行きます。
 江戸時代の終わり頃になると、大名行列も段々と派手になったり、頻繁になって来ました。そうなることは、お百姓にとっては大層めいわくなことでした。特に忙しい田植時や、秋の取入れどきには、この行列は困ったものでした。なぜかと言いますと、助郷という制度があって、大名行列があると、その荷物運びに、出なくてはならなかったのです。
 この助郷に当てられたために、おちおち百姓もしていられなくて、困った人は、1町(約100アール)余の、60俵とれる上田(良い田)を、年貢を五俵にして、その上お酒を3升つけて、他の人に作ってもらう人も出たというお話が、落合に残っています。
 後には街道から、もっと離れた村へも助郷がふやされ、加助郷と呼ばれました。

 
 

【解説】

助郷=江戸時代、宿駅常備の人馬が不足する場合、その補充のために宿駅近隣の村々に課せられた夫役。また、それを課された郷村。定助郷(常時補充する郷村)、代助郷(定助郷が災害などで助郷を免除されたとき、その分の負担をする郷村)。
加助郷=江戸中期以降、宿駅の定助郷に新たに追加された助郷役。街道の交通量の増加に伴って徴発された。
参考文献『落合の伝説』