覚明石〈中津川市中津川〉

 

 今日はひとつ御岳山を開いた覚明行者の話をしよう。覚明行者は三百年ほど前に尾張の国に生まれた。ある時、一大決心をして、四国八十八ヶ所をお参りする旅に出た。
土佐の足摺山の急坂を登っているとき、大切にしていた鉦鼓が二つに割れてしまった。日が暮れて、覚明行者は大木の根元に腰を下ろして眠ってしまった。夢に白い衣を着た人が現れて、「お前に鉦鼓を授けよう。この山中を探せ」という。「あなたはどなたか」と尋ねると「私は東方、御岳山に住む白河権現だ。今日からお前に覚明の二字を与える。お前は故郷へ帰って、信濃の霊山を開くがよい」
 朝暗いうちに鉦鼓を探し歩くと、光っている石を見つけた。石を拾おうとすると、数珠が石に当たり、チリンと音がした。覚明行者はこの石を鉦鼓石として生涯持ち歩いた。
 白河権現のお告の通り、覚明行者は尾張へ帰った。五条川が氾濫して川水が溢れていたが、覚明行者は金剛杖を流れの上に浮べ、一本歯の下駄でその上を、サッサッと向こう岸へ渡って行った。見た人々は神通力に目を見張った。
 覚明行者は木曽へ行く途中、中津川の槙坂の茶屋で一休みした。茶屋の主人古根佐次兵衛に、御岳山の参道を開く決意を話すと、佐次兵衛は心打たれ「私にできることは力添えしましょう」と、宿を引き受けたそうだ。
 それから何年もたって、覚明行者は苦心を重ね、ついに御岳山の参道を開いた。
 最後に御岳へ向かう時、佐次兵衛に「長い間お世話になりました。お礼に私の持ち物を置いて行きます。もし何かのときにはこれに祈って下さい。私は御岳の神となってお守りしましょう」と言ったという。

 
 

【解説】

 辞世の歌「叩かれて人の募る鉦鼓石、覚明石と人に知らせん」今、覚明石は朝日山の覚明様に、覚明行者の数珠、湯呑、金剛杖とともに御神体として大切に祭られている。
 御岳山の神様の話です。祈りながら、真剣に書かせていただきました。