池島と河童〈中津川市蛭川〉

 

 蛭川村の和田川のほぼ真中あたりに、「旗巻淵」という、それはそれは深い淵がありました。
 昔の子供たちはここで泳いでいましたが、「カワランベがいるぞ」と、よく大人たちからおどかされていました。これは水遊びの危険性を諭されたものです。カワランベというのは河童のことだと思われます。
 この旗巻淵は木曽川の池島と底の方でつながっているといわれます。
 木曽川の一番川巾の広がっているところ、今ではダムになってしまいましたが、奥渡の渡船場の下に藤渡の瀬というところがあのます。その広い川巾のところに砂がたまつて、広い中州ができ、その南側が本流で、北側の水溜りを池島と呼んでいました。
 洪水のときには旗巻淵は渦を巻いて水を吸い込み、それを池島へ吹き上げるので、池島の方も本流と同じようになって、中州は孤立してしまいます。
「吾助よーう」
 巻淵へ五人で泳ぎに来たのに、気がついて見ると四人しかいません。四人は必死に名を呼んで探しましたがどうしても見つかりません。親に話し、親も話しましたがどうしても見つかりません。
「これは河童に引かれたんだ」
  夜になってあきらめてみんな帰りました。翌朝、吾助の死体は池島に浮かんでいました。
 その後、ダムができて、池島はダムの底に沈んでしまいました。ここに住んでいた河童は広々とした湖中を遊べるようになりましたが、広過ぎて、旗巻淵にも現れなくなりました。

 
 

【解説】

 旗巻淵は川底が見えない深い淵で、竜宮の乙姫様が機を織った。淵の底にはハタゴの跡やハサミの跡があるという。南朝の落武者がこの淵で身を清めたという伝説もある。木曽川の中州は五千坪ぐらいあって、そのうち約千五百坪(五反)は耕地になっていた。
 現在はダムの湖底に沈んでいる。山中薬師で親しまれる瑠璃山医王寺は落合川の下桁橋からしばらく登ったところにあり虫封じ薬師として、蟹薬師、蓬莱寺とともに日本三大薬師の1つとして信仰を集めています。
 薬師如来は行基作と伝えられています。この寺に伝わる狐膏薬伝説は十返舎一九の「木曽街道続膝栗毛六編」にも登場します。