実なしつばき〈中津川市下野〉

 

 昔は田んぼの肥料に、山の草を刈って入れていました。だから山草刈りは大切な仕事で6月になると夜明けは早く、4時には馬を引いて山草刈りに出掛けました。
 遠くの山に出掛けて草を刈る仕事は大変なことで、太陽が昇り始める頃には馬に柴草を積み、自分も背負って帰ってくるのでした。
 ところが困ったことがもち上がりました。山の地境がはっきりしなくて、隣村とけんか、「山争い」になったのです。
 「ここは下野の草刈り場だ」
 「ちがう、ここは田瀬村の山だ」 鎌や棒を振り回してのけんかになります。
 4、5日たった夏の日。また今度は福岡村と下野村のけんかになりました。百姓たちは鎌を振り上げののしりあい、けが人も出る騒ぎとなりました。
 ついに苗木の役人の取り調べを受けることとなって、下野村の庄屋、田口新兵衛は呼び出されました。取り調べの結果は、すべて下野村が悪いと言うことになってしまいました。
 ある夜、新兵衛親子は柏原山の境あたりへ、炭(木炭)をこっそり埋めてきました。ところが翌朝、炭は田瀬村の庄屋に発見され、掘り返すと、炭に混じって「下野村庄屋田口」と書かれた新しい紐が出てきました。これで、新兵衛親子の企てはバレてしまいました。
 それがもとで、新兵衛は家に火をつけ、家族もろとも自殺しました。村のためを思う新兵衛の心をくみ、村人たちは新兵衛の屋敷跡に椿をたくさん植えましたが、その椿には1つも実がならなかつたということです。

 
 

【解説】

 下野音頭に「新兵衛 新四郎(息子)ヨイトコセ 屋敷の椿花は咲けども実はならぬ おらが自慢の花椿ササ花椿 」と唄われている。
 下野村は山も水も不足し、村人たちは困窮していたのに、それに加えて山争いに負けたため、庄屋新兵衛は家を焼き、法界寺で息子とともに自殺した。墓は白山神社にあり、7月7日が供養祭となっている。