焼き払いを助かった高峰観音〈中津川市付知町〉

 

 明治3年(1870)に廃仏毀釈といって仏教をやめさせ、お寺や仏像をこわす強い命令を苗木藩は村々に出しました。
 高峰山の頂上のお堂に役人がやってきて火をつけ始めました。近くの木の陰に隠れていた坂下村の信者たちは、
 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
と、合わせた手をふるわせて唱えておると、一人の信者が役人の目を盗んで燃えあがる火の中にとびこみ、観音様をかかえて素早く布に包んで隠してしまいました。その勇ましい度胸に、信者たちは感動し燃えあがるお堂に再び手を合せ一心に祈っていました。
 それから幾日かたち、信者たちは観音様を隠したものの、取り締まりの厳しいことに震えあがってしまい、人目をさけながら、馬の餌袋に観音様を入れて、西方寺の川原でおしょろ流しをしようとしたところを、付知村の中ノ谷(一ノ宮)の馬方(馬で荷物を運ぶ)熊谷徳松親分が、通りかかり、不思議な物を見つけたと拾いあげ中をみると、観音様でありました。びっくりして、誰にもわからないように隠しておいて大急ぎで付知へ帰り、宗敦寺の世話人と相談して付知へ移しておくことにしました。
 それから明治16年(1883)9月、宗敦寺に立派な観音堂が建立され、祀りこまれました。
 言い伝えによると、左肩が少し焼けていると言います。一年に一度お参りすると、9万9千日もお守りしてくださるというありがたい観音様ということで、毎年9月にお祭りが行われています。

 
 

【解説】

廃仏毀釈=仏教を廃し釈迦の教えを棄却する意。明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動。明治元年(1866)神仏分離令発布とともに、仏堂、仏像、仏具、経巻などに対する破壊が各地で行われた。
精霊流し=盆の終わりの15日の夜か16日の早朝に精霊を送り返すために供物をわらや木の舟に乗せて川や海へ流す行事。