河童の話〈中津川市加子母〉

 

 河童は昔の人の話によると、大きさは四、五才の子供くらいで、口先がとんがり、背中には亀のような甲羅があって、手足には水かきがあって、頭には皿と呼ばれるくぼみがあって、水が溜っており、この水が皿にあるうちは陸上でも強いが、水が干上ってしまうと死んでしまうそうです。
 河童の川流れという言葉があるように、水の中で泳ぐのが非常に上手で、他の動物を水の中へ引込んで生き血を吸ってしまうそうです。
 河童が日本に棲みついたのは、江戸時代の中頃のようで、それ以前の河童の記録はどうも見当たりません。江戸時代には、随分河童がいたようで、文政時代に水戸で漁師が網で河童を捕えたとか、文化年代には越前で河童を生捕りにして将軍家へ献上したとか、寛政時代にも豊後で捕えられたというような記録が残っており、いろいろな写生図も残っています。
 小和知の大家(田口さん宅)の先々代が円山淵で馬を洗っていた時の話です。
「今日は特別暑い日じゃったなあ。一日ご苦労さん」と声をかけながら、飼い桶に水を汲んでは背中に掛けてやっていました。
 その時です。河童が出てきて、馬の手綱を引っ張って、淵の深い方へと馬を連れて行こうとしています。
 田口さんは手に持っていた飼い桶を、河童の頭へスポンとかぶせました。河童は驚いて手綱から手を放しました。そのすきに馬を引上げて一目散に逃げ帰りました。
翌朝見ると飼い桶が、馬屋の入口にちゃんと返してあったそうです。

 
 

【解説】

 河童の名称はカワタロウ、ガァラッパ、ガタロなど地方によって色々ありますが中部地方は尾張を中心にカワランベと共通に呼ばれています。
 加子母では昭和40年代前半に打ち続いた水害によって、河川が大改修されて「カワランベ」の棲んでいるような底の見えない真青な淵が、今は無くなってしまいました。