黄金の瀬〈中津川市坂下〉

 

 木曽川の流れに、川上川が勢いよく流れ込んでいるところがあります。その一帯を黄金の瀬といいます。
 江戸時代も初めのころで、まだ街道も充分整備されていないときの話です。
 ある大商人が幾人もの家来をつれ、たくさんの小判を運ぶために鎌倉街道(東山道)の神坂から山口を通り、木曽川を渡って木曽西古道を通って京都へのぼろうとしました。
 木曽川にさしかかると、筏を組んで、その上に大金を積んで、自分も乗り、家来たちは水の中に入って筏を支えて泳ぎました。
 川上川が流れ込むあたりは波が高く、とうとう筏がひっくり返ってしまいました。
 たくさんの小判が川底に沈んでいるので、黄金の瀬と呼ばれています。この大商人はその後どうなったのか。名前はどういうのか。その辺のことは何もわかっていません。このころの大商人といえば河村瑞軒が有名です。伊勢の人ですが、無一文で江戸へ出て、河口に、ちょうどお盆の後で、瓜や茄子の馬が一杯流れついていました。
 水の漏る古樽をもらって来て、その瓜や茄子を漬けこむと、海水で塩味もよく、昼時に飯場に持って行くとよく売れました。材木商を営み、明暦三年(一六五七)正月、江戸本郷の本妙寺で施餓鬼に焼いた振袖が火元となり、江戸城および江戸市街の大半を焼く大火事となりました。材木は売れに売れ一躍大金持ちになりました。
 百年ほど後の紀伊国屋文左衛門も蜜柑を売った金で材木を買い占めて巨富を築きました。

 
 

【解説】

小判=江戸時代の金貨。楕円形で、一枚を一両とする。幕府発行の標準貨幣で、慶長小判、元禄小判、正徳小判、天保小判、万延小判などがある。
鎌倉街道=鎌倉時代、鎌倉から諸国に通じていた主要道路。上の道、中の道、下の道を主とした。(小学館『大辞泉』より)