わらびやんだるの大鯉〈恵那市飯地町〉

 

 わしの若いころに、よね松さという、魚釣りで暮らしている人がおらした。
 その日は秋終わり近くの、よく晴れた日じゃったが、よね松さの釣り針には、午前中獲物が1匹もかからんかった。こんなことは滅多にないことじゃった。よね松さは午後からわらびやんだるへ行く気になった。そこは川の両側が、高い屏風のような岩にとざされて、その上は人の入ったことのない原生林に取り囲まれ、崖からは幾筋もの滝が流れ落ちて、竜が住んでおると噂して、だあれも近づかんところじゃった。
 暗くよどんでおる淵に糸をたれたよね松さんは、しばらくして「しまった」と思った。
 淵の底にある何かに針がひかゝったらしく、右に左に引いても針はビクリともせん。
 よね松さは針を失うのが惜しかった。あれこれやってみるが、どうしても針は抜けてこない。ああ、だめか。あきらめかけたその時、よね松さは「アッ」と思った。針の位置が初めの所からほんの少し動いとる。これは途方もなく大きな獲物にかゝっとる証拠じゃ。すると突然、獲物は動きだいた。よね松さも糸が切れんように、獲物の行く方へと動く。
 淵の端まで来ると、獲物はくるりと向きを変えて、元来た方へ泳ぐ。よね松さも走る。
 どちらが先に参るかこん比べじゃ。
 淵を何十回行ったり来たりしたことか。とうとう獲物の方が根負けして、銀色の腹を見せて浮き上がってきた。
 丸たもに入りきらんで、よね松さが丈一メートルもあるも大鯉を、抱きかかえるようにして旅館へ持って来たときには、あたりに黒山のような人だかりがしたもんじゃ。

 
 

【解説】

 わらびやんだるというという地名はアイヌ語で「岩がつらなっている」という意味で、これは「砦」という意味らしい。大沢川が木曽川に合流する「流合淵」でのこと。丸山ダムの嵩上げ、飯地の地下トンネルの両工事により、この景勝地も変貌した。