メノウ石〈恵那市三郷町〉

 

 佐々良木村に次右衛門、里野という夫婦がおりました。ある日、田んぼの肥料にするために、草を刈っているときに、キラキラ光る美しい石を見つけました。
 2人はその石を家へ持って帰ると、つつじの根元に置いて、夫婦で眺めて楽しんいました。近所の人が遊びに来ると、自慢げに言いました。
 「おい、あれを見らんしょ。きれいに光かっとるら」
 「うん、なるほど、きれいなものじゃのう」
 こうして人から人へと噂は広がって、かなり遠い村からわざわざ見に来る人もあるほどになりました。
 「どうじゃ、その石を私に下さらんか」と、常久寺の和尚さんが言われました。次右衛門は惜しいと思いましたが、お寺には先祖代々お世話になっている事だからと、しぶしぶ差し上げました。和尚さんは喜んでお寺へ帰ると、その石を床の間に飾って置きました。
 ある日、岩村藩のお代官がお寺へやって来て、床の間の石を見て、
 「和尚、ええ石があるのう。これはメノウじゃないかのう」
 「へえ、さようでございます」
 「どこから手に入れたのじゃ」
 和尚さまが手に入れたいきさつをお話しすると、お代官はこのメノウ石をお殿さまへ差し出すようにといいました。和尚さまも惜しいと思いましたが、むげに断ることも出来ず、殿さまへ差し上げることにしました。
 その後、常久寺へは岩村藩から江戸の有名な画家の描いただるまの絵が届き、次右衛門の家へは米3俵がもらえたということです。狩野栄川の描いただるまの絵は、今でも常久寺の寺宝として、たいせつに保管されているということです。