およとヶ淵〈恵那市飯地町〉

 

 昔、およと、与兵衛という、たいへん仲の良い夫婦がおりました。
 天保四年は夏に雪が降るという異常気象で、食べるものがないので、木の根、草の根まで食べるという大飢饉に見舞われました。
 「こんな事をしていては、2人とも飢えて死んでしまう。私はよその国へ行って働いて金をたんと儲けて帰って来る」 およとは与兵衛にそう言いました。
 与兵衛は反対することも出来ず、不承不承に言いました。
 「そうか。仕方がないのう。行ってこいよ」
 こうして、およとは飯地村から出て行きました。それから、3年たちました。12月のある日、およとは飯地村へ帰って来ました。家の戸はぴったり閉じられ「与兵衛さァ、与兵衛さァ」と呼んでみたが、答える声は聞こえません。近所の人がおよとに言いました。
 「与兵衛さはのう。お前が出て行った後はすっかり元気がなくなって、仕事もせず、ぼんやりと座っておる日が多くなってな。ある時、心配になって家の中へ入ってみると、火のない囲炉裏のそばで冷とうなって死んでおった。お葬式は村で出しておいたがのう。何とも哀れなことじゃったて」
 およとは「あゝ1人で行くんじゃなかった。与兵衛さと一緒に出ればよかった」と悔やみましたが、どうにもなりません。家の中へ入って大声で泣きました。次の日の明け方に、およとはふらふらした足どりで出かけ、とうとう川へ身を投げて死んでしまいました。与兵衛のいないこの世に生きている希望を失ったのでしょう。

 
 

【解説】

 およとケ淵のある名場居川は飯地町と八百津町の間を流れている長さ 5㎞程の蛇行して、深い谷となっている川です。飯地町南の弘法堂を過ぎて、南へ向かい深い谷を名場居川へ下りたあたりに「およとケ淵」があります。今でも、あまり人の行かないところです。飯地町の上水道は、この川の水をとる計画になっており、町の人々の飲み水となる話におよとの霊も喜んでいることでしょう。