鉄砲の名手・光岡市郎衛門〈恵那市長島町久須見〉

 

 ピー、ピー、ロロ、ピー、ロロ、ピッ」と、まるで鳥の鳴き声とそっくりな笛の音がします。鳥が仲間の呼び声かと思って、集まって来ました。すると、「ダダーン」と、空気を引き裂くような、鉄砲の音がしました。バタバタと、鳥 が打ち落とされました。背中に毛皮で作ったセゴを背負って、木陰から1人の男が出て来ました。これが鉄砲うちの名人、光岡市郎衛門とゆう人でした。
 市郎衛門の射撃のうまさは、坂の樽をころがして、その樽の栓の穴に弾を討ち入れるほどの腕前で、岩村藩にも知れわたっていました。
 そこで、岩村藩では藩士と射的を競いましたが、市郎衛門は特別に上手でしたので、殿様から褒美に鉄砲をもらいました。
 市郎衛門があるとき、裏山の東作というところへ鉄砲をかついで出掛け、板取あたりでキジ笛を吹いたときのことです。
近くの松の木の上で、大きな蛇が炎のような真っ赤な舌を、ペロペロとだして市郎衛門をねらっているではありませんか。驚いた市郎衛門は、我を忘れて大蛇の頭をねらって「ズドーン」と鉄砲を撃ち込みました。弾は見事に命中し大蛇は苦しさのあまり、のたうち回って、「ガクリ」と死んでしまいました。
 しかし、さすがの市郎衛門もホッと一息したら、体から力が抜けたようになって、手足がふるえ、寒気がするので、この日はそれ以上の猟が続けられず、家へ帰ると布団を敷いて寝てしまいました。
 市郎衛門の病気は治らず、ひどい熱を出し、だんだん悪くなるばかりでした。そうして、とうとう死んでしまいました。寛保3年(1,743)8月13日のことでした。
 最後の言葉は、「東作板取に、大蛇を撃って置いてある」で、みんなで行ってみると、確かに大蛇の死体がありました。

 
 

【解説】

 今、恵那市長島町の山中に光岡市郎衛門が祭られている。殿様から拝領の鉄砲、愛用した猪皮の背負いセゴ、大蛇の爪などが現存する。
 この話は、久須見山中の加藤由市氏発行「ふるさと記す」から取り上げたものです。(久須見郷土誌参考)