恵那峡のキツネ〈恵那市大井町〉

 

 恵那峡のダムができるときの話です。工事で働いていた人が、現場で弁当を食べかけて、お茶をとりに行って、やかんをさげて帰ってきてみると、弁当箱がからになっていました。「おかしいなあ」と思って石に腰かけて考えていますと、あまり見かけたことのない男が現れました。
 「何しとらっせる」と男が聞きました。
 「おれがのう。弁当を食いかけて、お茶を取りに行ったすきに、だれかが弁当を食っちまやがった。世の中にはおかしいことがあるものじゃと思って、考えとったとこじゃわ」
 「そうか。世の中には悪い奴がおるでなも。そんなら、おれが昼飯をおごってやるでついておいでんさい」そう言って男はさっさと歩きだしました。
 「そりゃ、すまん」後ろから声をかけてついて行きました。岩を登ったり、溝を跳び越えたり、山に登ったり、あぜ道を歩いたり、橋を渡ったり、わけもわからずに、男の後ろから一生懸命でついて行きました。
 「ここが俺の家じゃ。今おれの嫁ごがでてくるでなも。障子のとこからのぞいておくれんさい」男はそう言ってどこかへ行ってしまいました。
 障子に穴を開けてのぞいていて、一時間以上も経ってころ、やさしい足音がしたので、もっと大きな穴をあけようと指を回したとき、「ヒヒーん」と、大きな馬の鳴き声がして、その人を後足でけっ飛ばしました。「いたい」と叫んで気がつくと、厩の中で、馬のしっぽをかき分けて馬の尻を見ていたのです。キツネに化かされていたのでした。

 
 

【解説】

 恵那峡。志賀重昴の命名。大正13年大同電力によるわが国最初のダム式発電所の新設に伴い、恵那市と蛭川村にまたがる高さ53.8メートル、長さ252.4メートルのコンクリート重力ダムが築造され、上流12キロメートルにわたる人造湖が生まれた。一部の奇岩怪石は水没したが遊覧船の就航で両岸の景勝の観賞は容易になった。