落合で斬られた熊谷三郎〈中津川市落合〉

 

 江戸時代の終り頃の話です。討幕派の武士の中に熊谷三郎という男がいました。大層腕のたつ武士でしたが乱暴者で茶屋では無銭飲食をし、旅籠に泊っては、部屋代を踏み倒すなど、討幕派の浪士たちは、武士の風上にもおけないと、彼を見つけ次第斬ってしまおうと探しているのでした。
 今日もつけ狙う浪士たちを馬籠峠でやりすごし、馬籠の宿で無銭飲食をし、駕籠かきに因縁をつけ落合へ向かわせました。
 落合宿では数人の浪士たちが三郎の行方を探しましたが、どこにも三郎がいないとわかると、きっと後からこの宿に来るに違いないと、方々に待ち伏せしました。どの家も戸を固くしめ、人っ子一人いない宿場へ、一挺の駕籠が入って来ました。道脇の茂みから二人の浪人が現れ「その駕籠、待て!」と言いました。駕籠かきは駕籠を置くと逃げ出し、浪人たちが駕籠の周りにかけよりました。
 「熊谷三郎か!」何の返事もありません。
 槍を持った男が駕籠の横から、さっと突きました。引いた穂先にべっとりと真っ赤な血糊。
 周りの浪士は一斉に刀を抜きます。駕籠から黒い物が転がり出ました。三郎です。キラッと白刃の煌めき。前の二人が斬られました。
 三郎は必死に街道を走ります。槍で刺された左足が痛い。肩から背中にかけて斬られました。それでも無意識に一人を斬りました。三角屋敷の戸口が開いています。黙って奥の部屋へ入って襖を閉めると、倒れるように座りました。もう立てません。どやどやと部屋に上がる足音。襖が開きます。”バサッ”部屋一面に血潮が散り、三郎の最期です。

 
 

【解説】

 追ってきた武士たちは、熊谷三郎を西山の墓地に埋めた。旧道から登った細道の左側にある丸い自然石の墓が、三郎の墓である。追っ手の武士は、後でわかったことであるが、水戸の浪士であった。三角屋敷とは、昔はそばを流れる川の関係で、三角な土地に屋敷が建っていたからそうよばれた。