お寺の鐘で雨乞い〈恵那市東野〉

 

 宗久寺に寺男がいて、ある夏の日、強い風が吹いて寺中ごみだらけになり掃除をしていました。本堂の半鐘を取ろうとしたとき手がすべって、半鐘が転がりだし、寺男が追いかけました。半鐘は寺を出ると阿木川まで転がって行き、かやの木淵へ沈みました。
 すると、俄かに天が曇って、大粒の雨が滝のように降り出しました。
 数年後、日照り続きで、お祈りしても雨が一滴らしも降りません。そのとき寺男のことを伝え聞いていた者があって、「寺の鐘をかやの木淵へ沈めてみよう」と言いました。
 半鐘は勢いをつけるため綱をつけてひっぱって、転がしながらかやの木淵まで行き、念仏をとなえ、お酒をかけて沈めました。
 その夜、雨は降りました。
 こうして雨乞いをしていましたが、それでも雨が降らない年があって、「もっと深いおかだ淵にしよう」「半鐘ではだめだ。つり鐘にしよう」つり鐘を四天で担がせました。
 何年かあとには力の強い若者を集め、サシで交代で担がせました。若者には、たっぷりお酒をのませて、勢いをつけさせ、おかだ淵まで運ばせました。
 村中の人々が出て、鐘の後からおかだ淵まで念仏を唱えながら行き、鐘に道みちお酒を掛けてお祈りしました。
 雨が降ったあと皆の知らない内に、つり鐘は寺に帰っていたそうです。
 この雨乞いは、昭和の初めまで行われていましたが、このつり鐘を戦争中に供出してしまったため、雨乞いもやらなくなりました。

 
 

【解説】

寺男=寺の下男。掃除をしたり、薪を集めたり、檀下の家々へ使いに走ったりする。
四天=四人で荷物などを担ぐこと。
サシ=二人で行うこと。サシで話すなど。
供出=政府などの要請に応じて金品などを差し出すこと。鉄砲の弾丸などを作った。