常磐姫の如来さま〈恵那市明智町東町〉

 

 昔、むかしのことじゃ。明智生まれで、たいへんに美しいお姫さまがおられた。その名を常磐姫といった。その美しさから、美濃の国の守護職(美濃全体を支配する殿様)土岐様の屋敷へお嫁入りされた。
 その常磐姫さまが、どうしたわけか土岐川の龍神が淵へ身を投げて死んでしまわれたのじゃ。
 その後、土岐川の水が涸れたときに、砂の中できらきら光るものがあるというので、村人が拾い上げてみると、小さな仏様であった。これは常磐姫さまがお守りとして、いつも身につけておられた如来さまだったのじゃ。村人達はこれをお祭りしておったが、お祭りがとだえると疫病が流行したり火災が起こったりしたので、またお祭りが行われておった。そのうちに、お姫さまの故郷へ返して上げようということになって、明智の光山寺へ移された。
 やがて、戦争が起こって、この光山寺が焼かれてしまった。その灰は川へ捨てられたが、また、川の水が涸れたある年の冬のこと、この如来さまがきらきら光<るものだから、村人達に見つけられて、拾い上げられた。  それからは的場地区と万が洞地区の各家々を回して大切にされ、14日目ごとにお念仏を唱えてお祭りをしておった。  あるとき、旅のお坊様がここを通りかかられて、この如来さまをご覧になって、「この仏様は、江戸の浅草と、大和の奈良と、ここにしかない三大観音さまだから、大切にしなさい」と、おっしゃった。きっと、如来さまだけれども、大切にするようにとお諭しになったのじゃろう。  こんなに大切にしていた如来さまじゃったけれども、あるときこれが盗まれてしまったのじゃ。しかたがないので村人達は、如来さまが入れてあったお厨子だけをお祭りしておった。  それがな、だいぶん月日がたってから、川の中からまた見つけ出されて、もとの通りに祭られるようになったのじゃ。なんでもこれを盗んでいった人は、如来さまの祟りで、それからというもの、怪我をしたり病気になったりのしどうしであったそうな。だから、川へ捨てて行ったのだということじゃ。  おそらく常磐姫さまの思いが、この如来さまの中にこもっているのじゃろうな。だから、いろいろな難儀に遭われたけれども、何度でもまた戻って来られたのじゃ。人々はそれを思って、今でもお祭りを続けておるのじゃよ。

 
 

【解説】

 現在は的場地区集会場の金庫に保管されて、明智町の文化財に指定されている。常磐姫の供養のために、14日念仏と呼ばれて今も続いている。
 高さ六センチ程の金箔如来像で、常磐姫の物語はラジオ東海の「岐阜県美濃飛騨ラジオライブラリー」に収録されている。