与五郎と飼い犬〈恵那市串原大平〉

 

 串原に合渡城(大平城)というお城があり、城主は遠山与五郎といいました。
 串原というところは、山また山に囲まれたところですので、戦らしい戦もなく、毎日がとってものどかで、平和に暮らしておりました。与五郎もシロという犬を飼って、毎日をのんきに遊んでおりました。
 ところがそんな串原へ、日本一強いと評判の、武田の軍勢が攻めてくるという噂が流れて来ました。そんな軍勢にかなうはずがありません。家来たちはひとり去り、ふたり去り、気がついて見るとだれもいなくなってしまいました。
 与五郎もどこか遠いところへ逃げてしまおうと思いました。けれどもそう気がついたときはすでに遅かったのです。もう武田の軍勢がまわりを大きく取り囲んでしまって、逃げる隙間もありません。
与五郎はまず地面のくぼんだところへ馬を伏せて隠しました。それから自分は洞窟へ身を隠しました。
 「やれやれ、これで安心。武田の軍勢が気づかずに行ってくれれば命は助かる」与五郎はホッと息を吐いて、岩壁にもたれて休みました。しかし、与五郎は大変なことを1つ忘れていました。それはシロのことです。シロはご主人さまの隠れている洞窟の前へ来て、尾をふりながら、「ワン、ワン」としきりに鳴き立てます。与五郎は必死になって、「シッ、シッ」と追いましたが、一向に立ち去ろうとしません。
 その内にこの様子が、とうとう武田の軍勢に見つかってしまいました。「中に人がいるにちがいない」と、20人ばかりの見張りがたちました。夜も昼も見張られていてはたまりません。与五郎はついに自分から討って出て、あえない最後をとげてしまいました。

 
 

【解説】

 合渡城(大平城)は与五郎の父、遠山雅楽頭の築城になるといわれ、現在でも石垣の一部と石碑などが大平西部山上に残っている。
 城跡からは明智の千畳砦も望むことができ、ここで連絡用に狼煙が焚かれたであろうと察せられる。
 与五郎が馬を隠した所は定かでないが、大平川の中に馬が伏せたような石が「馬の背」と呼ばれて親しまれていたが、河川改修のため今は見ることができない。(串原村)