鉄砲の名人善九郎〈恵那市岩村町〉

 

 昔、岩村の新市場組の足軽(身分の低い武士)に、善九郎という鉄砲の名人がおりました。大円寺村に人を化かす悪いきつね狐がいて、村人がたいへん困っているという話を聞いて、狐退治に出かけました。
 その狐は首から上が真っ黒で、体は真っ白な毛並みをしていました。
 善九郎があちらこちらと探し歩くと、黒首の狐が石の間からひょいと頭を出して善九郎を見ています。善九郎は狐に向かって大声で話しかけました。
 「鉄砲の名人善九郎を知らぬか!必ずお前をしとめてみせるから覚えていろ」
 弾を込めて発射すると、狐はすばやく頭を引っ込め、また頭を出します。続けざまに三発射ちましたが、そのたびに狐はひょいと頭を引っ込めるので、どうしても当たりません。
 「明日の夕方もう一度来る。いいか、お前も必ず来い」と善九郎が狐に向かって言うと、狐も首をこっくりと下げてうなづいたように見えます。
 さて、次の日の日暮れじぶんに善九郎が同じ場所へ来てみると、昨日の黒首の狐が同じ石の間から首を出して待っていました。
 善九郎はあぐらをかいて一発射ちましたが、やはり狐が首を引っ込めるので当たりません。二発目のねらいを定めているとき、善九郎は足を組み替え、それから発射しました。すると、ちょうど狐が頭を石の間から出したところへ弾が飛んで行きましたので、ひとたまりもなく、さしものずるい狐も額の真ん中を射ちぬかれてしまいました。
 それからというもの、村人は安心して夜でも外出できるようになったということです。

 
 

【解説】

 この話は平戸城主、松浦静山著「甲子夜話」270巻の中にある。
 この本の中には、岩村城主松平乗の子で、林家へ養子に入った大学頭林述斎が、講義の合間に語ったエピソードが、いくつか収録されている。
 大円寺は戦国時代に焼失し、江戸時代には大竹林となり、「大薮」と呼ばれていた。