五郎川とすべり石〈恵那市山岡町〉

 

 戦国時代のころの話です。五郎という大悪人がいました。方々で悪事をはたらき、隣の土岐から役人に追われて、山を越え、田代の里へ逃げて来ました。
 初めのうちは、役人に見つからないように静かにかくれていましたが、なにしろ背の高さは二メートルを越えるほどの大男で、岩のようながっちりした体つきで、しかも鬼のような恐ろしい顔つきをした男なので、だんだんと田代の人たちをおどすようになりました。
「ヤイ、今晩のめしには肉をつけろ。酒も忘れるな。おまえのところの嫁さんに持ってこさせろ。もし、持ってこなかったら、みな殺しだからナ。ようく、覚えとけ」。
 そう言って、ギロリと恐ろしい目でにらみつけ、腰にさした長い刀に手をかけてみせるのです。
 田代の人々がふるえ上がり、言う通りにするので、五郎は益々図に乗って乱暴が激しくなりました。
 でも、そういつまでも五郎の言いなりになってはいませんでした。田代の人たちは鬼をもひしぐ、五郎といえど、みんなでかかれば勝てるだろうと、それぞれに刀や竹槍、鍬をかざして里人総出で立ち向かいました。
 大勢対たった一人なので、さすがの五郎も疲れてきて、手うすな川の向う岸へ渡ろうと、川の中の石に足を掛けたとき、ツルリとすべって、川の中へ仰向けに転びました。この時とばかりに里人たちは一気にとびかかり、五郎を討ちとりました。その川を五郎川、その石を「すべり石」と言って、力を合わせることの大切さを今に伝えています。 村人たちは手厚く葬って、石塔を建てました。

 
 

【解説】

この話は東美濃農協に合併する以前に、恵南農協の広報誌に載せたものです。旧恵南の方々にとっては二度目になります。
郡堺、国境などは治安の目も行き届かず、こうした無法の危険にさらされることが多かった。この話しは大勢が力を合わせて危難をのりこえた成功談で、実際にあったできごとのようです。