花馬〈中津川市坂下〉

 

 10月15日は坂下神社のお祭りです。
 昔、木曽義仲が平家追討の出陣の折、木曽川が氾濫して渡れず、鏑矢に幣をつけて社目がけて射かけたところ、矢は川を越えて草原に突き立ちました。向こう岸に出向かえていた原義明(氏子頭)が、その矢を受け取り、馬の鞍にさし、直ちに坂下神社に代参しました。これが花馬の始まりです。
 木曽義仲が平家追討に成功し、旭将軍の称を賜わったとの知らせに、坂下村三郷(下組、合郷、町組)の人々は大喜びし、幣を結びつけた矢を3本作って馬の背につけ、村中総出で、笛、太鼓を打鳴らして坂下神社へお参りしました。これが、お祭りの始まりです。
 花馬はいつのまにか農民のお祭りになりました。幣束は白絹12反(1年分)となって、着物の意味に変わり、花の色は田畑の農作物を表わし、金は稲穂、銀は麦、黄は大豆、紫は小豆、白は大根、青は菜、赤は人参とされるようになりました。
 花竹の長さは、4尺5寸(約1.35m)5尺5寸(約1.65m)の2種類になっていて、それをうまく鞍に差し分けるのです。
 花竹は1戸に1本奉納するのが原則ですが、戸数の少ない郷では、あまりにも寂し過ぎるので余分に着けますが、500本が限度で、重いので弱い馬なら倒れます。365本(1年分)を着けるのだとも言われます。
 三郷それぞれの集合場所から行列を作り、駅前広場に集まり、お囃子を奏でながら神社へ向うと、見物人が歓迎しています。神殿広場を3回廻わると、勇ましく、花馬から花取りが展開されます。

 
 

【解説】

お囃子=笛2人、太鼓2人、鼓2人が原則で中学生が夏から猛練習して本番にのぞむ。曲目には「さがりは」「おかざき」「ちゃちゃぶくろ」「さいとろ」「おひりさいさい」などがある。
期日が10月の第2日曜日になったが、馬は今でも本物を使っている。