瘤掴み様〈中津川市蛭川〉
むかし、六部の老人が諸国を巡り歩くうちに、この瘤掴み様の祀ってあるあたりに住みつきました。
この老人は身よりもなく、病気になり、なおる見込みもないようすになったとき、近所の人に言いました。
「俺はもう間もなく死んで行くが、せめて乳を一口飲んでから死にたい」
その頃には、牛乳のあるはずはなく、人の乳のことです。
この話を聞いた1人の女が、かわいそうに思って、「私が乳を上げましょう」と言って乳を与えました。
病み疲れた老人に乳を与えた親切、真心に、この六部は涙を流し、「俺は、決して乳が飲みたくて言ったのではない。こうした親切がほしかったのだ」
さらに言葉を続け、
この老人は身よりもなく、病気になり、なおる見込みもないようすになったとき、近所の人に言いました。
「俺はもう間もなく死んで行くが、せめて乳を一口飲んでから死にたい」
その頃には、牛乳のあるはずはなく、人の乳のことです。
この話を聞いた1人の女が、かわいそうに思って、「私が乳を上げましょう」と言って乳を与えました。
病み疲れた老人に乳を与えた親切、真心に、この六部は涙を流し、「俺は、決して乳が飲みたくて言ったのではない。こうした親切がほしかったのだ」
さらに言葉を続け、
「ながい間人々の菩提をとむらい、人々の幸せを祈ってきたが、ここに命がつきるとき、人の真心にふれることが出来、ほんとにうれしい」
「俺が死んでから、俺の墓にまいってくれるなら、ひとびとの肌に出来た、いぼや瘤は取って上げよう」
と言いおわると、間もなく息が絶えました。
その後、誰言うともなく「あの墓へお参りすると瘤がなおった」と言うようになり、のちにみんなで小さいお堂を作って、瘤掴み様と敬い、お参りする人がふえたといいます。
「俺が死んでから、俺の墓にまいってくれるなら、ひとびとの肌に出来た、いぼや瘤は取って上げよう」
と言いおわると、間もなく息が絶えました。
その後、誰言うともなく「あの墓へお参りすると瘤がなおった」と言うようになり、のちにみんなで小さいお堂を作って、瘤掴み様と敬い、お参りする人がふえたといいます。
【解説】
六部と言うのは、正しくは六十六部で、全国六十六カ国を巡り、国ごとの神仏の霊場に法華経を一部奉納しつつ修行する廻国行者のことで、人の没後の冥福を祈り、菩提を弔うのが本当であったが、江戸時代の末期には、農村に入って、白い着物に六部笠をかぶり、鐘、太鼓などを鳴らして、物貰いのように堕落したものも多数あった。
参考文献『蛭川村の伝説』