へんび石の伝説〈恵那市笠置町〉

 

 伝説によりますと、この土地を治めた主は白ひげ大明神だということで、旧姫栗公民館の前に立っている二つの大きな石が証拠として残っております。
 昔ここに、白ひげ大明神の宮が祀ってあり、この2つの石が御神体になっていました。
 明治の始め、本殿を椿山へお移しすることになりました。神官様にお祓いをしてもらい、立石をおおっていた社殿を動かした時、この立石の割れ目から紫色の小さなヘビがちょろちょろと出てきました。そのヘビは宮の前の大きな岩の割れ目に入って見えなくなってしまいました。
 このへんび様は、田の神様でもありました。毎年6月に入ると、「今年もぼつぼつ田植をはじめてもいいぞ」と教えるように岩の割れ目から、にょろにょろ横腹を出していました。
 村人たちは、「へんび様が出らしたで、田植を始めまいか」と、田植えの仕度にかかったといいます。不思議なへんび様だと、村人は崇拝していました。
 又、こんな話もあります。
 へんび石の上へのぼると罰が当たるという言い伝えです。
 「馬鹿なことを言うな」と、へんび石の上へ上がった近所のお爺さんがありました。その日から急に足の裏が熱くなり、毎日池の水で足を冷やしながら、とうとう死んでしまったということです。
 学校近くなので横着坊主がへんび石の上へ上がってその晩から熱を出し、永らく学校を休んだこともあったそうです。

 
 

【解説】

2つの石はもともとは、てのひらを合わせたように、2つ並んで立っていたものである。これをメンヒルという。今から1万年ぐらい前に立てられたもので、夏至の日の太陽がこの石と石の間から昇る。夏至の朝、太陽神を祭る宗教的な行事が、この場所で行われたのであろう。
参考文献『姫栗のむかし話』