御出来様〈恵那市笠置町〉

 

 御出来様(恵那市笠置町)「おんでけぇ」というこの土地の方言は、「おんでくれ」「背負って下さい」ということで、昔の子守歌や童うたで歌われています。
 久須見の城主松野左京は、ねばり強く猪狩城を攻めたてました。
 猪狩城の城主茂知野は城から出て戦うとき、今度の戦争は勝ち目が無いと感じたのか、家来の樋田弥左衛門に子供のことを頼みました。
 子供は弥左衛門が守ることになりましたが、城が危なくなったので、手もとに置いては危険だと、家来に背負わせて、夜になってから、城を脱出しました。
 「もう、このあたりまで来れば大丈夫だろう。今度はわしがおぼう。お前は先に行って様子をみてこい」弥左衛門は家来にそう言って、子供を背負いました。
 「はい」と答えた家来は身軽になると、一足先に進んで行きました。
 まもなく森が切れて広々とした草原へ出ました。
 すると、物かげに隠れていた久須見の一隊、10人ほどがバラバラと出て来て家来を取り囲みました。
 家来は座って頭を下げ、「どうか命だけは助けて下さい。もうじき茂知野様の子供をおんだ主人が来るはずです」と言いました。
 隊長は「よし」と許し、又隠れました。
 何も知らずに出て来た弥左衛門は、敵に囲まれて、背中の子供もろとも袈裟斬りに切り殺されてしまいました。
 それから夜になると「おんでけぇ」、「おんでけぇ」と泣く子供の泣き声が悲しく聞こえるので、村人が哀れと思って塚をつくり、「御出来様」と名付けました。

 
 

【解説】

 御出来様の塚は切山組の見戸、田本さん宅裏の孟宗やぶの端にある。この地に立つと恵那山を始め、笠置山など目と鼻の先に眺められる。恵那市街地のはるかかなたに、阿木川ダムが阿木の山にいだかれるように見える。何の罪もないのに切り殺された子供のおんでけ様も、きっと眺めていることだろう。
参考文献『姫栗の昔ばなし』