2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年9月4日 mockup 恵那 杣の木〈恵那市山岡町〉 上手向の「あまらび」から久保原の「下ヶ洞」「いり」を通って「北洞」へ抜け「中西」の前へ出る道がある。土地の人はこの辺りを「杣の木」と言い、昭和の初め頃までは「山犬が出る」と言って恐れた。 「山犬ちゃあ、き […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 居守ヶ池〈恵那市山岡町〉 戦国時代の初め頃、この辺りの領主の遠山氏と、西方の土岐氏が敵味方に分かれて争っていた時のことです。明知遠山の領主は、領土の守りを固めようと、田代の東の山に高町城を築き、部将に命じて守らせました。部将は家族 […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 突眼薬師〈恵那市山岡町〉 佐助夫婦は大層働き者でありました。 その日、二人はいつものように連れそって裏山に、杉の木の枝打ちに出掛けました。 ぼつぼつ休むとしようかなと、振り返った途端に佐助は松葉の先で、左眼を突いてしまいました […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 山の神さま〈恵那市山岡町原〉 むかし、原は小さな村で、人々は貧しいけれど、互いに助け合い幸せに暮らし、きのこ取り、栗拾い、山芋掘り、薪拾い、炭焼きなど、いつも山の恵みを受けていました。 村はずれから山へ登る細い道の脇に、山の神さまが […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 瞽女と七草粥〈恵那市山岡町〉 正月七日の朝のことです。下手向村の芦原の里の家々では七草粥をたき、家族そろって年祝いの膳に向かって、箸をとっていました。その日の朝は、前日からの雪が野山一面に降り積もって寒い朝でした。 この時、この芦原 […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 五郎川とすべり石〈恵那市山岡町〉 戦国時代のころの話です。五郎という大悪人がいました。方々で悪事をはたらき、隣の土岐から役人に追われて、山を越え、田代の里へ逃げて来ました。 初めのうちは、役人に見つからないように静かにかくれていましたが […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 爪切地蔵と久保原の花火〈恵那市山岡町〉 文政七年のある夏の明け方、久保原村の爪切地蔵の前に一人の旅人が行き倒れていました。村人たちは近くの林昌寺に担ぎ込みましたが、やがて旅人は気がつきました。粥をすすると、「自分は弥吉というもので、江戸の両国か […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 夜泣き松〈恵那市岩村町〉 赤ちゃんが夜、眠らないで泣くことがあります。それを「夜泣き」といいます。夜泣きにはいろいろ原因があります。 目を覚ましたとき、だれも側にいてくれなくて淋しいとき、おムツが汚れていて気持ちが悪いとき、お […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 竜の戦い〈恵那市上矢作町〉 江戸時代の初めごろ、山崩れが起こって上村川を堰止めた形になり、喉の滝など天然記念物ができました。上流はまるで海のように広く深いダムになりました。だからここの地名を「海」といいます。 この満々と水をたたえ […]
2017年6月24日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 恵那 井戸神〈恵那市岩村町〉 江戸時代から井戸を守る水神様がまつられていました。明治20年(1889年)の後半になると、生糸が好景気になって、農家の副業に蚕が飼われ、各地に製糸工場が建てられました。そこで働く人々は女の人で、女工さんと […]