2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 馬場用水〈中津川市下野〉 享保11年(1726年)のことです。 安保又左衛門という人が、福岡の馬場という所へ分家して、引っ越して来ました。 せっかく広々とした所なのに、水がないので田圃ができません。畑しかないので、このあたりの […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 垂洞のしだれもみ〈中津川市付知町学園〉 昔々、徳本上人という偉いお坊様が江戸から木曽の神坂をこえて、中山道の中津川を通って、付知の村へやって来られました。このお坊様の教えは簡単でした。 ただ「なむあみだ仏」と唱えれば、だれでも幸せになれるとい […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 田畑の槍〈中津川市川上〉 南北朝時代といって、都の朝廷が二つに分かれて争っていたころの話です。 川上村の御所根というところに仙洞源四郎という南朝方の落武者が逃げてきて、家来と二人で隠れるように暮らしていました。 ある日、源四郎 […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月18日 mockup 中津川 さんやさま〈中津川市加子母〉 旧暦の7月23日は三夜講の夜が行われる晩でした。お供え物の団子や粟焼、酒などを持って、二渡の奥さん連中が、日が沈むころから集まって来ました。赤ん坊を背負った人もいましたし、子供を連れてきた人もいました。滝 […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 濃が池〈中津川市坂下中原〉 昔むかしのことじゃ。濃というものすごく大きな怪物がいてな。そいつが山を崩したり、家を踏みつぶしたり、どえらいいたずらをするんでな。若い娘をささげんと暴れるんやさ。毎年、毎年若い娘を濃にささげておるうちに、 […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 増吉と八五郎〈中津川市加子母〉 明治から大正のよき時代に、平凡な生活を楽しんだ凡人、増吉と八五郎は、たいへん仲が良く、増吉も八五郎も籠やザルを作って売り歩くのが職業でした。 品物が出来上がると、2人は背負って行商に出掛けました。主に物 […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 実なしつばき〈中津川市下野〉 昔は田んぼの肥料に、山の草を刈って入れていました。だから山草刈りは大切な仕事で6月になると夜明けは早く、4時には馬を引いて山草刈りに出掛けました。 遠くの山に出掛けて草を刈る仕事は大変なことで、太陽が昇 […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 小町井戸〈中津川市下野〉 下野の白山神社の山裾に池があつて、その奥に自然のわき水がこんこんと吹きだ出し、夏の暑い太陽がギラギラ照りつけるときでも、その水はとっても冷たかったそうです。 そのそばを通っている道は、飛騨と美濃の二つの […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 馬糞饅頭〈中津川市付知町〉 下向きの源三は、中山の平でたきものを伐って晩方、家に戻ろうと、休み場までおりてきました。すると、ずっと先の方を狐が歩いて行くのが見えます。 「これは人を化かす年寄り狐じゃ。俺は化かされんぞ」と思って狐の […]
2017年6月18日 / 最終更新日 : 2017年6月24日 mockup 中津川 坂折峠の早合点〈中津川市蛭川〉 織田信長が本能寺の変で死んでから、各地で豊臣方についたものと、徳川方についたものとの間で、小さな戦争が続いていました。 兼山城の城主森長可は大勢の家来を引き連れて、遠山友忠の守る苗木城をめざして、攻めて […]